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アートディレクター/グラフィックデザイナー。東京芸術大学美術学部デザイン科卒業。株式会社サンアド、宇宙カントリーを経て2006年より独立。広告のアートディレクションやアパレルのグラフィック、CDジャケットのディレクションやテキスタイルデザイン、映像等、ジャンルを問わず様々な分野で活動。
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卓越した描写力を活かした装飾的なタイポグラフィやイラストレーションを武器に、独自の世界観を表現してきたデザイナー、大島慶一郎。サンアド時代より、今は亡き野田凪氏の下で働き、宇宙カントリー設立にも携わるなど、長らく彼女と活動を共にしてきた彼だが、独立後はアニメーションやキャラクターデザインなどの分野にも手を広げ、めきめきと力を伸ばしている。最近では、ファッション撮影の現場にアートディレクターとして関わる機会も増えるなど、新たなフィールドに足を踏み入れた気鋭クリエイターを取材した。
Text:原田優輝
デザイナーを志したのはいつ頃ですか?
大学に進学した頃です。小さい頃から手を動かしてものを作ったり、絵やマンガを描くことが好きで、細かい描写やデッサンが得意だったこともあってか、東京芸大に入ることができました。僕はデザイン科だったのですが、最初はアートがやりたかったんです。それは、芸大の先輩であるタナカノリユキさんが、講義で大学に来たりしていたことなどにも影響を受けていると思います。タナカさんのように、アートからデザインまで幅広い分野で活動している人が魅力的に見えました。その後、DJをやるようになり、イベントのフライヤーを自分たちで作るようになったのですが、その頃からデザインへの興味が強まっていきました。
当時からPCを使ってデザインしていたのですか?
そうですね。ちょうど大学に入ったあたりから、Macが個人でも割と手軽に買えるようになってきたので、そのタイミングで自分も使うようになりました。それで一気にデザインが身近になった感じはありましたね。自分で描いたものをスキャニングして、それをレイヤーとして扱っていけることが画期的でしたし、手を汚さなくても済むようになったのも良かったですね(笑)。当時は、自分で撮った写真に色々な加工をして、それをイラストやタイポグラフィと組み合わせたようなデザインをよくやっていました。文字の見え方やテクスチャへのこだわりはその頃からあって、ボールペンだけを使って細かく描き込んでいくようなこともしていました。そういうものが今の自分の土台になっているのかもしれません。
Typography for Mother Forest
大学を卒業してからは、すぐにサンアドに入社されたのですか?
大学4年生の時に就職試験を受けたのですが、その時は入れなかったんです。その後しばらく経ってから、またサンアドの募集があった時にもう一度応募して、入ることができました。サンアドはあまり体育会系のノリがないというか、やわらかい社風のイメージがあって、募集要項にも「自分にピッタリかな」と思うようなことが色々書いてあったので、ずっと入りたかったんです。入社してからすぐに、野田(凪)さんの下に付くことになりました。もともと野田さんとは同い年で、以前から面識もあったのですが、経験ははるかに野田さんの方があったし、僕自身、入社したてで全然できなかったので、当時は怒られてばかりでした。野田さんの作品から想像するイメージと、本人の間に結構ギャップがあって、その意外性にも意表をつかれました(笑)。コンピューターをバリバリ使っていて仕事も速かったし、結構しっかり者でしたね(笑)。
サンアド時代はずっと野田さんの下でやられていたのですか?
葛西(薫)さんの下に付く仕事もありました。僕も野田さんも、「葛西部」の中にいたので、ホントは野田さんも葛西さんの仕事をしないとダメなんですけど、野田さんはほとんどやらないんです(笑)。だから、結局それも僕がすることになって(苦笑)、当時は全然家に帰れなかったですね。
葛西さんについては、どのようなイメージを持っていますか?
葛西さんの作品は大好きなんです。もう大御所の方なんですけど、常に葛西さんのデザインは新鮮に感じられるんですよね。その時だけでは終わらない普遍的なデザインというか。自分はそういうものが好きだし、目指しているところでもあります。あと、葛西さん自身の可愛らしい部分や、言葉の使い方、選び方、表現の仕方とか、そういうすべての人間性が、葛西さんトーンとして、デザインに現れているんだということを、一緒に仕事をさせて頂くことで感じることができました。


(左) Laforet Collection 09 in Paris Poster
(右)『New Food Shop Graphics』(ピエブックス)
サンアド時代はどのような仕事をすることが多かったのですか?
最初の頃はまだ全然デザインが上手くなかったので、絵コンテや映像のラフなどを描いたり、アイデアを考えたりということばかりやっていました。ある時、手描きでタイポグラフィを作る機会があって、その時に自分がもともと得意だった細かい描写をする感覚で文字をデザインすることができたんです。文字って絵と一緒だなと。それで何か自信がついたというか、自分なりの仕事のやり方がつかめたところがあって、どんどんデザインが面白くなっていきましたね。
サンアドではどのくらいの期間働いていたのですか?
約2年ですね。野田さんが独立して宇宙カントリーを立ち上げるということになって、そっちに参加することになったんです。色々悩んだのですが、野田さんの行動力や、国際的に仕事をしていくスタンスが魅力的に感じられたんです。自分自身がそういうものを持っていなかったので、それをもう少し肌で感じながら、ものにできるところはしようという思いがありました。一流の人はみんなそうだと思うのですが、野田さんも「思ったら即行動」の人なんですね。そして、周りにそれを助けてくれる人がたくさんいる。僕はそれまで独り者の感じでやっていることが多かったので、野田さんと一緒に仕事をするなかで、仲間の大切さというのを実感することができました。

Triptych DM
その後独立するまでの経緯は?
それなりに経験を積んでからは、野田さんから任せてもらえる仕事も少しずつ増えてきたのですが、宇宙カントリーでやっている限り、どうしてもそのトーンからあまり外れることはできないですよね。そういう表現の部分で、ちょっと限界を感じるようになってきたんです。普段から「もし自分が一人でやるとしたらどうするか?」ということを常に自問自答しながら仕事をしていたのですが、それを考えれば考える程、やっぱり一人でやりたいと思うようになってきて。それで、3年くらい宇宙カントリーで働いた後に、独立することにしたんです。
独立直後はどのような仕事をされていたのですか?
当時は自分の名前なんかまったく知られていなかったし、これといって代表作もなかったので大変でしたね。ただ、宇宙カントリー時代から、自分じゃないとできないという部分を仕事の中に残してきていたので、それを頼りに知り合いなどからもらったDMなどの仕事を中心に、2年間くらいは運良くやっていた感じですね。
ターニングポイントになった仕事はありますか?
ASYLの佐藤(直樹)さんから『ネオンアディクト 蛍光色の本』というアートブックの仕事を依頼されたことがあったんです。それは、「蛍光色」をテーマにアートワークを作るというものだったのですが、その時に、それまでよくやっていた手描き主体の作り込んでいくデザインとは全く違う考え方や表現ができたんです。伝えるべきことに見合った表現を、選択しながらディレクションをしていくという考え方で取り組むことができて、それまで持っていた変なこだわりを一度捨てることができたんです。それまでは、「文字はしっかり作り込む」とか「少し変なものじゃないといけない」とか、作品のどこかに自分の足跡を残さないといけないということばかり必死に考えていたんです。

『ネオンアディクト 蛍光色の本』(BNN新社)
デザインのディテールだけにこだわるのではなく、より広い視野で全体をディレクションしていけるようになったということですか?
そうですね。細かく作り込んでいくデザインは、それまでのDMの仕事などでたくさんやってきていて、そこに関しては土台を作れた感じがあったので、その次のステップに行きたいと思っていたんです。ちょうどその頃、撮影の仕事をたくさんするようになっていて、雑誌などの撮影の仕事も増えたのですが、それも大きかったですね。
そのようなディレクションの仕事には、どんな意識で臨まれているのですか?
基本は仕事内容であったり、テーマであったり、それに沿ったイメージやアイデアを考えるところから始めています。関わるスタッフ、カメラマン、スタイリスト、ヘアー、メイクさんそれぞれの考えやアイデアもどんどん取り入れていきながら制作しています。自分にないものを持っている人の考えはイメージをどんどん広げてくれるので新しい発見が多いです。撮影の仕事をするようになり、そういうディレクション感覚が身に付いたことで、自分で手を動かすグラフィックの仕事にも変化が出てきました。グラフィックデザインとアートディレクションの両方を並行してやっていくことで、今まで持っていなかったような新しい考え方ができるようになるということを、最近はスゴく感じることができて、とても面白いですね。
最近はキャラクターデザインのような仕事もされているようですね。
はい。スゴく単純なことなんですけど、自分が描いたキャラクターが動いたり、グッズになったりすることは、とてもうれしいんですよね。誰が見ても何かしら反応してくれますし。キャラクターにもポップなものからシュールなものまで色々あって、それを通して世界観を作っていくという点は、普段のデザインと同じだと思うんです。しかもキャラクターの場合は、どんどんストーリーが作られていく感じがあるので、迷わず進むことができる。普段は結構迷うタイプなので、そこで苦しまないというのは良いですよね。自分はイラストレーターではないので、独特のタッチがあるわけではないのですが、キャラクターを作る仕事をやることで、新しい自分を発見できることはよくあります。

Character Design for CUBE
クライアントとの関係性はどのように考えていますか?
僕の場合、自分の作風を知っている人から依頼される仕事も結構多いのですが、そうじゃない場合は、当然のことなのですが、仕事の内容、テーマに対して自分なりに考えることをします。要は、その中でいかに自分なりの合わせ方ができるかが重要だと思うんです。ファッション撮影の現場などでも感じるのですが、自分だけの意見だと結構つまらなかったりすることも多いし、やっぱりみんなの意見が合わさって良いものになっていくところがあると思うんです。基本的には、色々な考えをまとめながら作っていくというスタンスが、自分には合っているということなんでしょうね。
大島さんのデザインには、繊細な美しさと、過剰に装飾されることで生まれる不気味さが、絶妙なバランスでミックスされているように感じます。
どうしてもそうなっちゃうんです。あまりバチっとカッコ良いものは作れないんですよ(笑)。どこか照れがあるんだと思います。自分がアートではなく、デザインをやっているということも、そこに理由があるかもしれません。アートというのは、自分を丸出しにしなくてはいけない。でも、それができないから、こういう形で表現しているのだと思います。ただ、デザインってやっぱりどうしても裏方に回ってしまうものだと思うし、普通の人が見ても、「ふーん」と言って通り過ぎてしまうことも多いのですが、そうなってしまうのは寂しいんです。だからこそがんばって作り込んでいるというところはあります。自分は、スゴく良いデザインを見ると、本能的にゾクゾクするんです。そうした感覚を満たすための、自分なりの自己満足の仕方というのがあって、それを実践しているのかもしれないですね。
最後に、今後やりたいことがあれば教えてください。
CMなど映像をとにかくやってみたいですね。あとは、今作品撮りなどをしている写真とグラフィック表現を合わせたような自分らしい展示を、近いうちにやれたらなと思っています。
『Ocappa』
Photographers Summit 『獅子舞』
Exhibition Information
クリエイティブスタジオ「ANSWR(アンサー)」が運営するオルタナティブスペース『PUBLIC/IMAGE.3D』のオープン記念企画第1弾として開催されるグループ展「FUNTASY(ファンタジー)」に、大島慶一郎の参加が決定しました!

PUBLIC/IMAGE.3D presents『FUNTASY』EXHIBITION
作家: 大島慶一郎、大原大次郎、菱沼彩子、針谷建二郎
会場:PUBLIC/IMAGE.3D
東京都世田谷区池尻2-32-2 デパール池尻1F
会期:2009年11月6日(金)- 11月15日(日)
レセプションパーティー 11月6日(金)19:00-22:00
12:00-18:00 (月曜日定休)入場無料
物販:T-shirts / ZINE …
































