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1989年、東京スカパラダイスオーケストラでパーカッショニスト兼バンマスとしてデビュー。その後、フリーのパーカッショニストとして活躍しながら、98年、ギタリスト、プログラマーである浦山秀彦と ASA-CHANG & 巡礼を結成。同年、トラットリアからファーストアルバム「タブラマグマボンゴ」をリリース。2000年に超絶タブラ奏者U-zhaanが加入し、現在の編成になる。01年に発表したセカンドアルバム「花」が各方面から絶大な評価を得る。02年、初の振るレングスアルバム「つぎねぷ」をリリース。同年、英国WIRE誌のBEST ALBUMに「JUNRAY SONG CHANG」が選ばれるなど、カルチャー国境を越えた幅広い活動を続けている。
contact ASA-CHANG & 巡礼 URL:www.myspace.com/junrayofficial |
エキゾチズムとモダニズム、ストイシズムとエピキュリアニズムが出会う場所。 ASA-CHANG & 巡礼の作品に向き合う時、そんなイメージが思い浮かぶ。オリジナルなリズム・アプローチとエディットした日本語ヴォーカルの斬新なコンビネーションを土台に、新しい表現を怖いくらいシビアに突き詰める彼らは、同時にすべてを包みこむような心地良さや優しさをも表現する。そんな巡礼のスケールが大きな、そして波及力の強い世界は言葉の壁を越えた海外でも高く評価されているが、前作『みんなのジュンレイ』から4年を経て発表される新作アルバム『影の無いヒト』は坂本龍一、宮藤官九郎、太田莉菜、キセル、 SAKEROCK の星野源らをフィーチャー。光も闇も、すべてを内包し、より広く、より深く伝わっていく可能性に満ちた素晴らしい作品だ。
Text:小野田雄
久しぶりのアルバム、聴かせて頂きました。なかでもアルバム表題曲「影の無いヒト」は見て見ぬふりもできる、あるいはそうしがちなものと徹底的に向き合った問題作だと思いました。この曲を書いた時の心境を教えてください。
大まかな設計図が出来たのは2005年かな。作ってた時の心境としては、鬱々とした、もしくはドロドロなことになっていたわけではなくて(苦笑)。私生活では子供ができたり、むしろハッピーだったのね。だから、そんな時期にこういう曲を書いていたこと自体、怖いですよね(笑)。ただ、20歳の頃、ヘアメイクを志望して現場に立っていたので、本が好きだったり、文字が好きだったりする人が学生時代に通り過ぎるであろう作品を40過ぎてようやく読む気持ちに至ったので、そういう活字の影響は大きいかもしれない。それらの作品のほとんどには、かつてのポップ・ミュージックにも内包されていたであろう重みや深みを感じ取れたし、いま大ベストセラー中の小説にしたってものすごくダークだったりするじゃない? それなのに音楽は何やってんの? 売れないの当たり前じゃないか!と思ってはいました。
確かに今の日本のポップ・ミュージックは現実社会と乖離して、波及力や訴求力を失いつつあるように思います。
そういう意味では言葉で何かを表現しようとしている人の方がヒリヒリしているし、共感できるよね。かといって、ポップ・ミュージックが完全に怠惰だとも思わないんだけど、あまりに中抜けしてる。そういう思いが常にあったから巡礼なんて始めたんだと思うんですけど、ここにきて、そういう思いが爆発してしまったのかもしれない。僕はね、みんながワーッとなって、VJがバーッとなっているようなものは恥ずかしいんですよ(苦笑)。それは歳だからというより、ずっと前から駄目なんだ。や、なかには好きな人たちもいるよ。ROVOだって、失礼ながらいいおっさんが汗流しながらみんなで全力疾走してる感じでしょ(笑)。尊敬すらしているし。でも、今って、色々あふれているじゃない? アートの世界だったら、似たようなことをやったらバッシングを食らうのに、音楽はムーヴメントの名のもとにちょっとした差異を共有しあう、あの感じが俺にちょっと…。

L’Expérience Japonaise 2009 -Nîmes Biennale@フランス・ニーム劇場
Photo: Kaname Onoyama
ここ最近のパーティ・シーンを見ていても、VJやデコレーション、フード・ブースなんかを取り入れることが形骸化していて、そうしたものの必要性が根本から全く問われていないという状況がありますしね。
気持ちで繋がりたいからそうなるのも分かるし、僕はそういうカルチャーのピークの時期に遭遇して、素晴らしい瞬間も見たけれど、同時に弊害も見てきて、「何も言わなくても分かるじゃん」っていう共同幻想に何年ハマり続ければいいんだろうって思っちゃうんだよね。そういうことが自分にはできないから、巡礼をやっているんです。もちろん、定型のポップ・ミュージックやクラブ・ミュージックも大切だと思うよ。だって、次の展開が分からないことで生じる不安を不快に思うことだって当然あるだろうから。でも、音楽の方から聴き手に歩み寄ることなく成立するポップ・ミュージックもあると思う。
それから巡礼にあっては、2001年の名曲「花」がひとつの基準となっているというか、あの曲をどういう形で超えようという意識が活動のモチベーションになっているところがありますよね?
それは今でも思ってますよ。それはしようがないよね。だって、みんなもそう思ってるだろうし、「花」で満足しちゃってるならもう活動しなくていいじゃない? でも、僕の頭の中には発表したい音像があるし、景色もある。それに「花」を出した時、CDショップの視聴機問題ってあったじゃない?
「花」を聴いて怒ったようにヘッドフォンを叩き付けて試聴を止めたり、聴きながら泣き崩れたり、視聴者の反応が極端すぎて一部で問題になったという?
そうそう。だから、「花」以降は怖いって言われないように、原田郁子さんや小泉今日子さん、ハナレグミの永積タカシくんだったりっていう素晴らしいヴォーカリストをフィーチャーしてきたし、作風も柔らかくしていく過程でコンテンポラリー・ダンスと相性のいいことが分かって、そういう表現と向き合ってみたりっていう試行錯誤があったわけだけど、今回のアルバムを作り始めた時、自分で自分にブレーキをかけるのはもういいんじゃないかって思ったんですよ。だから、今回はまた「花」を作った時みたいなモードにシフトを入れたところはありますね。

UNRAY DANCE CHANG -アオイロ劇場@世田谷パブリックシアター
Photo: Kikuko Usuyama
ただ、表題曲のように暗部をえぐり出して向き合う曲があるかと思えば、このアルバムには、いなたくて時に牧歌的に思える曲も収録されていますよね。
巡礼の作品には、スコアを書き上げてから作り上げていく「影の無いヒト」みたいな全く揺れ動かない曲と、いろんなものが入り乱れてわけが分からなくなった後、「まぁ、いいや、作っちゃえ!」って書いた曲っていう両極の方法が確かにありますね。ただ、僕は自分の演奏を他のアーティストに提供するセッションマンでもあるからこそ、巡礼はストイックにやっているし、ヴォーカル・チョップは別にして、巡礼に似た音楽がない以上、続けなければいけないっていう使命感がある。だから、やりすぎて時に疲れてしまうこともあるんです。恐らく、自分の中の基準よりもうちょっと軽いものが人には好まれるというか、逆に圧倒的なものはウザいんだろうなって思うけど、だからといって、”上澄み”みたいなものに僕だったらお金を払いたくないの。だから、ひたむきに巡礼の定型を守りつつ続けつつ、進みつつ深めつつっていうのが巡礼が長きに渡って追求しているテーマなのかもしれない。ただ、そのテーマは10年前に巡礼を始めた時にあったわけじゃないんです。
表現を極めていくなかで浮き彫りになったテーマである、と?
そうなんだと思う。だって、結成当時は自分の中で「これはヤバいんじゃない?」っていうトラックが一個あっただけで、自分の中に明確なものはなかったですから。それなのに、巡礼なんていうグループ名を名乗っちゃったもんだから、「ASA-CHANGはスカパラ時代と大きく変わってしまったのか?」みたいなことも言われたりもしましたよ。でも、今回、スカパラ時代のセルフカヴァー「ウーハンの女」を聴いてどう思いました?

FUJI ROCK FESTIVAL ‘07@苗場食堂
Photo: yu-co ishikawa
20年の歳月を経た曲だけに当然変化している部分もありますけど、どこか懐かしくてエキゾチックなものとモダンなものが同居した作風は、かつてのスカパラも今の巡礼も共通しているように思いますし、常に表現を更新していこうというASA-CHANGの心意気は今も昔も変わっていないですよね。
良い応えで良かった(笑)。自分で言うのは手前味噌だけど、’85年に僕がスカパラを結成した時、ああいう音楽(ルーツSKA)は日本になかったですし、「なんでテレビなんて出るんだよ!」とか、賛否両論ありましたからね。
しかも、当時、音楽が本職じゃない集団がメジャーデビューしてしまうなんてことは、約20年前の日本の音楽シーンではあり得ないことでしたからね。
そう考えると、あの当時のスカパラが持っていた奇異な部分と今の巡礼が持っている奇異な部分がどれだけ違うのか。もちろん、違う部分はありますよ。でも、同時にブレていない部分は多々見つかると思うし、「このアルバム、駄目かな?」って、みんなに問いたいんですけどね。

L’Expérience Japonaise 2009 -Nîmes Biennale@フランス・ニーム劇場
Photo: Kaname Onoyama



















