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1978年京都府出身。京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。これまでの主な展覧会に、「金氏徹平展 splash & flake」(2007/広島市現代美術館[ミュージアムスタジオ])、「笑い展:現代アートにみる『おかしみ』の事情」(2007/森美術館)、「美麗新世界:当代日本視覚文化」(2007/Long March Space、Inter Arts Center、東京画廊+BTAP、広東美術館)、「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」(2008/東京都現代美術館)などがある。2009年3月20日〜5月27日まで、横浜美術館で個展「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」が開催中。
contact 金氏徹平 URL:teppeikaneuji.com 「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」 URL:www.yaf.or.jp |
現在、横浜美術館で個展を開催中のアーティスト金氏徹平。30歳という若さでこの規模の美術館での展覧会は、異例の抜擢といえる。作品に使われるのは、おもちゃ(フィギュア)、プラスチック製の日用品、広告写真など、私たちが日常どこかで当たり前に目にしているモノやイメージ。コラージュ的手法で「見たことあるようで、何だか分からない」、これとはっきり名付けられない「あいまい」なカタチをつくり出し、見るものに「自由と不安」を同時に体験させる、いま注目のゼロ年代アーティストの一人だ。昨年の11月から美術館内にアトリエを設け、作品制作に勤しむ金氏徹平に話を聞いた。
Text:石井芳征
横浜美術館という大きな美術館で、金氏さんくらいの若い作家が、この規模の個展を行うというのはかなり珍しいと思うのですが?
そうですね。あまり聞いたことのない話なので、周囲も、もちろん僕も驚いています。同世代の作家からは、「自分に置き換えたら無理かもしれない」とか「いろいろ考えさせられる」とか言われることが多かったです(笑)。僕みたいな若い同世代の作家がこの規模で今後個展ができるようになるためにも、前例として失敗できないというか、ちょっとした使命感が出てきて、最近プレッシャーを感じてきました。
大学時代は彫刻専攻ということですが、日用品、既製品をコラージュ的に組み合わせるようになったきっかけは?
何となく彫刻をやっていると、大きくてしっかりしたものを作らないといけないという暗黙のルールがあるんですけど、それにリアリティが感じられなくて、全然作品が思いつかなかったんです。その頃は毎日、自宅で雑誌を切ったり貼ったりコラージュみたいなことしたり、日用品でおもしろいと思ったものを粘土でくっつけたりということを、学校で発表することもなくただ作っていたんです。でも友達からはこっちの方がいいと言われて、一度学校の先生に見せたんですよ。怒られるかなと思ってたけど、意外と普通の感じの反応で、勝手にこっちが縛られてただけなんだなと思いました。

作品をつくる時、その素材を選ぶルールや基準みたいなものはありますか?
それは作品ごとにいろいろあります。例えば骨格の模型と骨に似た日用品を組み合わせた作品は、素材を「これはこの骨に似ている」とか、「色が骨っぽい」とかそういう感じだけで選んでいます。でも他人にそのルールを説明して、素材を集めてもらっても、ほとんど使えないんですよね。意外と伝わらないものだなと。親戚のおばちゃんが「これ使えそうだから」って持って来てくれても、使えた試しがない(笑)。
コラージュの場合、違和感を出すためにあえて全く違うものを、同じ場所に持ってくるやり方がありますが、金氏さんの場合一つ一つは遠いものなのに、どこか親和性があるというか、そういう意味での不思議さがありますよね。
はい。僕が勝手に作ったルールで集めた時に、全然違う文脈にあったもの、すごく遠いものでも、もとから関係性があるものに見えてきたりしますね。だからひとつのルールでいろんなバリエーションを作ることは意識的にしています。


(左)「White Discharge(建物のようにつみあげたもの #3)」(2009) Courtesy the Artist, Photo: eric、(右)「White Discharge(建物のようにつみあげたもの #4)」(2009) Courtesy the Artist, Photo: eric
そうしたモノの見方は、作品だけでなく普段の生活の中でも同じですか?
そうですね。同じものでも違うルールを当てはめた時に全く違って見えるっていうか、そういうことは意識しているところです。こうだと思い込んでいたモノが違う側面から見たら全然違って見えたり、一気にバーッと広がるというか。さっきの彫刻の話じゃないですけど、漠然としたルールだけを信じるんじゃなくて、自分でつくったオリジナルのルールを当てはめて見てみることはよくしますね。
海外での活動もなさっていますが、言語や文化の違う状況でも、金氏さんのいう「ルール」というものは通用するものですか?
そうですね。しかも割と個人的なちょっとしたことも伝わるというか、大きいことを言うと伝わらないけど小さいことを言うと伝わる。そういう実感はありましたね。たとえば留学していた時、「そこに変なゴミ落ちてたけど、あれおもしろくなかった?」みたいなどうでもいいことが通じて、「僕の作品もあんな感じなんだけど」って言うと、「ああなるほど」みたいなことになったり(笑)。
以前のインタビューで「見たことのあるモノで、何だか分からないものをつくりたい」とおっしゃっていましたね。
そういう感覚や感情が大事だと思っています。何でも見たことあるものを分かったものとしてしまうとそこですべてが終わってしまう。考える間もなく、これはこれと答えが決まっている感じではなく、確かに知っているのに「これって何だったっけ?」という感覚にさせるのが大事なんです。「確かに知っている感覚だけど言葉にできたことがない」とか「どこで見たかも憶えていないけどこの感覚は絶対知ってる」みたいな経験。言葉にできないような感覚そのものをモチーフやテーマにしてつくることをよくしますね。あたかも答えがあるという状態がスゴく気持ちが悪くて、僕にとっては閉塞感や疎外感に繋がっていくんです。答えのないこと、分からないものを分からないままで楽しむ、受け止めるということの重要性はどんどん出て来てるんじゃないかなと思いますね。


(左) 「Teenage Fan Club #20」(2009) Courtesy the Artist, Photo:eric、(右)「Muddy Stream from a Mug #8 」(2009) Courtesy the Artist, Photo: eric
今年30歳になられたことで何か変わったことはありますか? また今回の個展によって新たな方向性を見つけたみたいなことはありますか?
まだ分からないところもありますが、変わらないと思っていたのに30歳になった瞬間、なぜか涙が出て来て…。なぜかちょっとセンチメンタルな感じになってますね(笑)。理由は全然分からないんですけど。あと、ここに来て美術の歴史に興味が出てきましたね。これまで無視して来たんですけど、ようやく。もうちょっと勉強しようかなと思っています。その中でいま一番引っかかっているのが、油絵の抽象画。これって何なんだろうって(笑)。
それはいい意味での違和感ですか? それとも気持ち悪さですか?
両方ですね。興味もあって、カッコ良いとは思うんですけど、「これ何なんだ?」ってやっぱりどこかで思うというか。何となく分かったものとして置いておいたところ、やっぱり「何なんだ?」って(笑)。あとは映像にも興味があって、小さい時の夢が映画監督だったので、10年後には映画が撮れないかなと思っていて、その準備も始めたいですね。

「海と膿(パイプの写真)」(2009) Courtesy the Artist, Photo: eric
好きな映画監督や作品はありますか?
デビッド・リンチが好きです。ストーリーがあるような、ないような作品だけど、一つ一つのシーンが、メチャクチャだけど何か知っている感覚を与える感じがスゴいと思います。あとは大林宣彦。アイドル映画が多いし、ストーリー自体はどうしようもないんですけど、一つ一つのシーンが生々しい。どうして思春期の時に感じたあの感覚を出せるのか不思議ですね。
最後に展覧会に来るお客さんにメッセージをお願いします。
僕が日常的に感じた感覚とか、日常使ったものを作品に取り入れているので、どこか繋がるポイントがきっとあると思います。一部分でも繋がるところがあればいいなと。以前に一般向けのレクチャーがあって、その参加者のおばちゃんに、制作現場で作品についていろいろ熱心に聞かれて、答えていたんですけど、その人が最後にはイライラし始めて「これは何なの?」って。その時はスゴく困りましたね(笑)。答えが分からないことで疎外感を感じちゃうらしくて。だから、あまり「分からない」って言わないで欲しいですね(笑)。
『金氏徹平:溶け出す都市、空白の森』は、3月20日〜5月27日まで横浜美術館で開催。





















