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1973年愛知県生まれ。グラフィック・チームILLDOZERを経て、2001年より自身の作品制作を主とするプロジェクトTHE BWOYとしての活動をスタートさせる。音楽、ファッション、書籍などを中心に様々なメディアにおいてグラフィックを発表する。2008年12月には初の作品集『CULT JAM』をBARTSよりリリース。
contact HIROSHI IGUCHI E-Mail:info@thebwoy.com |
卑近な例を挙げるならば、『 STUDIO VOICE 』2008年11月号「ゲームを作ろう!」特集の表紙。“○○系”という安易なセグメントに慣れた向きにはどうにも居心地の悪い、謎めいたヴィジュアルの衝撃がそこにある。他にも、 BEAMS T がフリーDVDやYouTubeで公開したカルチャー番組『 BTTV 』のアートディレクションや、『Tezuka Osamu by Gasbook』などへの参加など、クリエイティブシーンの一翼を担いながら、謎めいたアートワークを展開し続ける人物—。井口弘史とは何者か? このラディカルさは何なのか? もはや本人に語ってもらう他にはない。謎の一端が今、幕を開ける。
Text:深沢慶太
井口さんといえば、独創的な世界観のアートワークで知られていますが、肩書きとしてはグラフィック・デザイナーということになるのでしょうか。
グラフィックですね。ただ自分にとって「おもしろい絵」が作れれば、呼び名は何でもいいと思っています。仕事のメインはやっぱりデザインになるのかな。CDジャケットの仕事は、瀧見憲司さん率いるクルーエルの仕事をここ2年ほど、多くやらせて頂いています。でも、ひとりで制作を始めた時からは、仕事よりも作品制作の方が自分としては圧倒的に比重が大きいですね。これまで幾つかの本でアートワークを作らせてもらっている4D2A の古屋蔵人君が出版レーベルを手掛けるということで、自分の作品集の依頼を頂いているのですが、その本が「紙+1色のインク」という制約もあって、ここ最近はモノトーンの作品に集中していました。基本的に、時間を見つけては制作をしている感じです。
作品と仕事の両立についてはいかがでしょう? そうやって作り貯めたものの中から、「この依頼にはこれが合うだろう」という作品をマッチングさせていく、ということでしょうか?
そうかもしれませんね。短いキャリアの中で、作品は作品で思いついたらどんどん作っていくというリズムが出来つつあります。仕事はそこで得た「モノの見方」をどれだけ反映することができるのか、そのギリギリのポイントを探りながら進める感じです。もともと、ロゴやタイポグラフィが好きなんですよ。フォントをデザインして、それを共有することや、誰かが作ったものを個々の解釈で使いこなすことに、グラフィックデザインの醍醐味はあると思います。そうやって広がっていくことでデザイナーの美意識に共通認識が生まれてくると思うんです。でもある時に「自分しか使わない書体があってもいいな」と思ったんです。それと同時期に「世の中にある様々なテキストが全て同じにフォントに置き換えたらどうなるか?」というイメージが浮かんで試し始めた。渋谷センター街にひしめき合う看板や、道行く人が着ている洋服にプリントされたブランド・ロゴやメッセージ、ネット・オークションに氾濫するブートレグのバンドTシャツetc…。その時々に気になった文字要素を「No Futura(ノー・フーツラ)」という自作のフォントに置き換える実験を試みた作品です。このフォント自体もその名の通り「Futura」という歴史あるフォントをREMIXしたもので、本来の美しさを一度無視して制作したことからこのようなネーミングを与えました。


こういう作品を作りながら、受注に合うものがあれば仕事としても使っていく、ということですね?
具体的に流用することは少ないのですが、すでに世の中にあるモノをどう捉えるかという意味では作品制作で得た感覚は強く反映されていると思います。ただ依頼に対しては、その瞬間において最善の解答を返したい思っています。このカヒミ・カリィが選曲したコンピレーション・アルバムは『クリスタリゼーション(結晶化する)』というテーマがあって「難しいお題だなぁ」って思っていたら、たまたま蓋の部分が大きい香水の瓶を近所の古道具屋のショウウィンドウで見つけた。「これだ!」と思って、それをレンズ・フィルターとして使って石黒達史君に撮影してもらいました。達史君の作品や取り組む姿勢に共感する部分が大きいので、いつも無理を言って手伝ってもらっています。


(左)「Kahimi Karie Presents Crue-L Crystallization」、(右)「The Future Is Yours」
確かに、井口さんの制作スタイルは、作品ベースの写真家に近いように思います。イルドーザー出身ということですが、デザインは独学で?
一時期お世話になったイルドーザーの石黒(景太)君と阿部(周平)君は独学ということで知られていますが、僕はそれ以前に2つのデザイン会社で仕事をした経験がありました。イルドーザーで制作していた期間は実質1年半くらいですね。当時勤めていた会社の仕事を終わらせてから、終電でイルドーザーに行ってちょっと手伝ったり、邪魔したりしていました。でも、イルドーザーを離れてからすぐ今のスタンスになったわけではなくて、もう1年くらい、ジェリー鵜飼君(ADS)の手伝いをしていました。鵜飼君は当時『TOKION』のADを担当する事が決まっていたので、それを手伝いつつ、鵜飼君が企画した『bock』というフリーペーパーの表紙と中面で6ページを使って作品を発表する機会を頂いたりもしました。単純に暇な人が近くにいたっていうことだったと思うんですけどね。
2000年頃のことですね。その頃はエアブラシのようなタッチで色数の多い、80年代テイストの作風を多く展開していたように思います。これだけ強烈な作風なのに、Webなどにも情報がほとんどないから、よけい謎めいて見えるのだと思います。
道ですれ違う人が通り過ぎた後から、やっぱり気になって振り向いてしまうようなものが面白いと思うんです。視覚が伝達された後の「残り方」の質がスゴく重要かなと考えています。強いヴィジュアルって良くも悪くも残ってしまいますからね。


『SIM magazine』をはじめとして、『The Album (1st)』や『2027』など、古屋蔵人さんが手掛けた出版物に数多く作品を提供しているのはなぜでしょうか?
声を掛けていただく機会が多いからですね(笑)。『The Album(1st)』ではアートディレクションを担当させてもらいました。同じく4D2Aの庄野君が発行している『MASSAGE』や、唯一の連載が『SPECTATOR』だったり、随分偏っている気はします(笑)。見る側にしてみたら毎回作風が違うから、わけが分からないような感覚になるかもしれませんね。でも、デザインに関わる場合は、エンドユーザーが一期一会で気に入ってもらえれば、そこにデザイナーの存在感は必要ないかなって思うんです。クルーエルの仕事にしても、絵のタッチや写真のディレクションは毎回まったくテイストが違う仕上がりになっていると思うし。ただ、もし誰かが、散らばった点を結んだ時に、なんとなく共通した考え方を見ることが出来ればうれしいですね。そういう数少ない人に拾ってもらってるような気がします。


(左)『THE ALBUM(1st)』、(右)『MASSAGE』Vol.3
クルーエルは日本の音楽シーンの最先端を行くインディーズの筆頭のようなレーベルですから、そこのヴィジュアルを多く手掛けているということは象徴的だと思います。
クルーエルの仕事は、自分にとっては矛盾が残らない仕事のひとつというか、透明度の高い仕事だと思っています。それはスゴくシンプルなことで、所属アーティストの完成された作品に対して、最小限に絞ったアイデアを足すことで、最良の化学反応を偶発させて「アレレ!?」っていう一瞬を視覚からサポートする役割。それを妥協がいらないフィールドで模索できるという意味で、貴重な経験をさせてもらいました。


作風としては、おちゃらけているような印象のものも多い中で、非常に真面目な考え方でそれらをクリエイトされている。そこが不思議なバランスだと思います。
ああ…。人からはストイックな印象で見られてるみたいなんですけど、知り合ううちに「テキトーだね」ってガッカリされることが多いですね(笑)。「デザイン」という仕事を通じて、社会に対する適用能力の低さは日々痛感しているので、運良く仕事の依頼があった場合は、ものスゴく緊張して頑張っちゃってるんだと思います。ただ依頼に対しては「こういう存在であって欲しい」という漠然とした完成型だけはすぐにイメージできるので、そこを難しいと思わず攻略していくプロセスはやっぱり面白いです。反面、制作中の作品集に関しては、デザインでも何でも無くて、ただただ好き勝手に絵を描いて集めている感じです。そういう極端なバランスを意識的に取り始めたのはつい最近のことだったりします。
12月に発売される作品集の名義はTHE BWOYということですが、この名義を見るのは『bock』以来のことのように思いますが、なぜ個人名ではなくこちらの名前を使っているのでしょうか?
特に意味はないんですけどね、なんとなくです。仕事のクレジットでも使ったり使わなかったりで。まだ今日の段階で入稿を終えていないので、もしかしたら「Hiroshi Iguchi」と表記されているかもしれない(笑)。無責任ですが、そんな感じです。今回の作品集は、自分の身の回りにあった物を撮影した写真作品だったり、なんとなく気になった人の顔を描いたり、過去の作品を再構築したりといった内容になっています。ただ、それらは単なる寄せ集めではなくて、身の回りにある「無数の小さな崇拝(カルト)と即興(ジャム)」というコンセプトのもとに厳選されています。気に入って使い続けているものや身につけるもの、色やカタチや味覚、様々な様式のアーティストや作品。それらを選ぶ瞬間には、微少ながら偶像崇拝に近い確信があったような気がします。これまで何を基準に物を選んできたのか、そこにどんな価値を見出し信じているのか。そして、それらの価値は何処から派生したのか。このコンセプトは、デザインという社会的に責任ある仕事に携わる機会があったことで見えてきた感覚を引用していますが、「デザイン」とはかけ離れたものだと考えています。今回、運良くそのコンセプトを「本」というカタチで発表できるのをうれしく思います。



































