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東京生まれ。フォトグラファー。写真 ひとつぼ展グランプリ、キヤノン写真新世紀優秀賞、コニカ写真奨励賞、 木村伊兵衛写真賞、大原美術館賞など数々受賞。活動開始と同時に毎年写真集を発表し、現在までに40冊近くを出版。2007年に公開された『さくらん』では長編映画初監督も務める。同作は国内だけでなく、第57回ベルリン国際映画祭及び第31回香港国際映画祭の正式出品特別招待作品となるなど国内外で高い評価を得た。2008年11月に 東京オペラシティアートギャラリーから始まり全国の美術館を巡回する大規模な個展を開催。 contact Lucky Star Co.,Ltd URL:ninamika.com E-Mail: ninamika.com/ja/mail/index.asp |
90年代後半のガーリーフォトブームとともに脚光を浴び、ムーブメント終焉後も驚異的なペースで写真集、展覧会などでの作品発表、さらには、著名人のポートレート撮影や企画本などのクライアントワークも手掛けてきた写真家・蜷川実花。その独自の世界観による作品で、もはや説明不要な程の市民権を獲得している彼女が、これまでの活動を総括し、デビュー当時の作品等も展示する集大成的な展覧会を東京オペラシティアートギャラリーで開催する運びとなった。ここ数年で、映画監督、出産などの新たな経験を重ねた彼女は、今どのような心境にあるのか? 展覧会を直前に控えた蜷川実花に話を聞いた。
Text:原田優輝
まずは、今回の展覧会の内容について教えてください。
初期のモノクロ作品や未発表作から最新作「Noir」までを展示します。こうして改めて見直すと、その量に自分でもビックリしますね。これまでも色々な所で展覧会をしてきているのですが、だいたいいつもワンテーマだったんですよ。例えば、旅の写真だけを集めたり、女性のポートレートだけにテーマを絞ったり。それらを1度にまとめて見られるような展示というのは今回が初めてなんです。どの写真もテイストは似ているんですけど、色々なシリーズの写真を撮っているので。それをシリーズごとに順に見せていくような展示になると思います。
展覧会の会場構成にも毎回趣向が凝らされていますよね。
私の場合は、額装して見せるということはほとんどしないですね。とにかく数がある方が好きだし、写真集には写真集の見せ方があるのと同じで、展示には展示の見せ方がある。せっかく見に来てもらうのだから、楽しんでもらえる体感型のような展示にしたいんです。今回も、窓ガラスに透過性のフィルムを貼って展示したり、金魚の作品を展示している部屋では、壁一面に金魚の映像を流そうと考えているところです。

東京都写真美術館「日本の新進作家 -幸福論-展」(2003年)
最新作「Noir」はどのようなテーマの作品なのですか?
「Noir」とは、フランス語で「黒」を意味する言葉です。作品自体は、すべてが黒というわけではないんですけど、これまでの作品よりも「影」の部分が強いものが多いですね。ここ2、3年で撮ってきたものもあるのですが、大半は今年に入ってから撮影した作品です。これまでの私の写真にもそういう傾向は常にあったとは思うんですけど、今回はその「影」の部分がもう少し分かりやすく出ていると思います。モチーフは今までと変わらないんですけど、不穏な空気がちょっと多い(笑)。
それは撮影した後に気付いたことなのですか?
そうですね。どのシリーズでもそうなんですが、まずはとにかく気になるものを撮って、編集していく段階である傾向やカタチが見えてくるんです。今回の「Noir」に関しては、『アサヒカメラ』で8ページくらいのスペースをもらった時に、あまり私っぽくない作品を出しても良いと言ってくれたので、あえてちょっと重めの写真を選んで出したことがあって、それが結構面白いなと思ったのがきっかけですね。

『Noir』より(2008)
“蜷川カラー”のイメージが強く定着している分、これまではご自身でもそのパブリックイメージを意識せざるを得ない部分もあったのではないですか?
それは確かにありましたね。ここ2、3年はだいぶなくなってきていますが、特に木村伊兵衛賞を頂いた前後というのは、「自分はこうなんです」というのを分かりやすく見せたかったんです。当時は、良い写真だけど「蜷川実花っぽく」ないから出すのをやめた作品も結構ありました。
今回、この「Noir」というシリーズで、いわゆる「蜷川実花っぽく」ない写真をまとめて発表することになった裏には、何か心境の変化があるのですか?
そうかもしれないですね。写真を撮る時というのは、特に誰かのためにということを考えたりはしないのですが、それを写真集などにして発表する時は、やっぱり見てくれる人たちのことも考えるんです。でも最近は、それ以上に「今本当に出したいものを出す」という気持ちが強い。撮影をしている時の心境は、これまでとなにも変わってないと思うんですけど、それをまとめる段階で少し変わってきているのかもしれないです。

『floating yesterday』より(2004)
撮影、セレクト、プリントという各工程において、まったく違う意識が働いているのですか?
撮影をする時、ベタ焼きをチェックする時、プリントを編集する時では、それぞれまったくの別人です。セレクトの段階では、思い入れがあるカットは一応焼いてみるんですけど、上がったプリントに関しては、もう思い入れとかは抜きにします。どれだけその写真に思い入れがあっても、その感情が映っていなかったり、人に伝わらなそうであれば、発表しないです。だから、一連の工程のなかでどんどん作品が遠くに離れていく感じはあります。そういう意味では、やっぱり撮影をするときが一番直感的なんです。そこに理性や論理をなるべく入れたくない。何かが降臨したかのような変な感じで撮っています(笑)。
カメラは普段から持ち歩かれていますか?
持っていないんですよ。スイッチのON、OFFが私にはハッキリあるんです。だから、普通に日常生活を送っていると、撮りたいと思うものがないんです。だけど、撮ろうという目で世の中を見ると、一気に色々なものが面白く見えてくるというところがあって。普段はそういう感覚が閉じているんでしょうね。逆に考えると、常にカメラを持っていると、いつも感覚を開いていないといけないし、それだとスゴく疲れてしまうんです。撮ること自体は自分にとっては非日常的な行為。撮影する時にスイッチが入って、終わると完全にオフになる。そういうことを毎日繰り返しています。
蜷川さんの場合、ライフスタイルや趣味・趣向がご自身の作品とリンクしているイメージがとても強かったので、それは少し意外な感じがします。
よく言われます(笑)。私がデビューした当時というのは、女の子写真ブームで、身近なものをカジュアルに撮っていくという流れが一気に広まったじゃないですか。私自身、当時はセルフポートレートを撮ったりもしていたし、手の届く範囲のものしか撮ってなかったんだけど、それでもやっぱり写真と生活は地続きではなかったんですよね。だから、例えば、彼とスゴいケンカをして突然別れた後でも、逆にスゴくハッピーでとろけそうな日々を送っている時でも、それが写真に出ることはないですね。子供が生まれた後も作品自体は変わっていないですし。自分でも不思議ですけど、それがある意味私の強さでもあるのかなと思っています。

『マリ・クレール』(2007年4月号/アシェット婦人画報社)
そのガーリーフォトブームの潮流があった当時から現在にいたるまでの間に、写真界を取り巻く状況や、蜷川さん自身にも色々と変化があったと思うのですが、今振り返ってみて何か感じられることはありますか?
なんか不思議な感じですよ。例えば今だと、写真学校の学生たちの中にも、当たり前のように「蜷川実花が好き」という人達がいるわけじゃないですか。デビュー当時は、私の作品は本当に異端だったと思うし、「あんなの写真じゃない」とかさんざん言われました。それがいまや「蜷川実花が好き」なんて言ってしまうと、むしろベタで恥ずかしいくらいの感じでしょ(笑)。でも、結局自分がやっていることは基本的には変わらない。改めて初期の作品を見直してみると特にそう感じます。自分はあまり変わらない分、時の流れというのをスゴく感じるし、それには本当にビックリしますよね。
そもそも、写真を始めるようになったきっかけは何だったのですか?
私はずっと絵描きになりたいと思っていたんですけど、精神的にも経済的にも自立しろというのが家の教えだったので、作家よりも食べていけそうなグラフィック・デザインをやるしかないかなと思い、グラフィック・デザイン科に進んだんです。でも、あまり性に合わなかったんですね。その時、私にとって写真というものが、誰にも迷惑をかけずに何でもできる自由な媒体に感じられたんです。普段グラフィックを勉強しているから、写真では何をしてもいいと思ってやっていたら、そっちがどんどん面白くなっていったんです。その後、大学2年の時に「ひとつぼ展」に出品して賞をもらったりするようになって、就職活動の時期には、写真で生計を立てようと腹を括ったんです。
写真のどういうところが合っていたのですか?
いざ撮ってみると、何の苦労もなく思ったことがそのまま映るという感じがあったんです。「キレイ!」と思って撮ったら本当にキレイに撮れているし、「好き!」と思って撮ったものはそういう風に映っている。逆にそれまでやりたいと思っていた絵だと、描いていても感情が遠すぎるというか、全然ピタッとこなかったんです。小さい頃は自分が写真を撮る人になるなんて夢にも思ってなかったんですけどね。機械もずっと苦手だと思っていましたし。でも、写真が自分にはピタッと合ったんでしょうね。

『Liquid Dreams』より(2003)
花や金魚など、蜷川さんの作品には、繰り返し出てくるモチーフが数多くありますよね。
基本的にしつこいんだろうなと思います。好きなものが決まっているんですよね。一概に男と女を分けるのも難しいと思うんですけど、男性は遠くの秘境に行って撮影した一枚にロマンを感じるところがあると思うんです。でも、女性はどこに行ったとしても、結局自分の手に入るものが好きなのかもしれない、と思うことがあります。私もメキシコや南米まで行って、コップを撮ったりしてますからね。なんでそれが好きなのかと聞かれてもわからない。「だって好きなんだもん!」としか言えない(笑)。
繰り返し撮るモチーフというのは、やはり撮影する度にその被写体の新しい面を引き出したいという気持ちがあるのですか?
ありますね。例えば、花ってスゴくキレイだから、誰もが撮るじゃないですか。だから、それを自分の写真にするのってとても難しいんですよね。花を撮り続けていると、やっぱりひとつの方程式にハマっていきがちなんですよ。「こうやって撮ったら蜷川実花っぽい」とかね(笑)。そこに毎回感情を乗せて、新しい発見をしながら撮っていくというのは簡単じゃなくて。自分で撮っているのに、「蜷川実花」風というものもあるし、そういうのは本当に良くなくて…。そうならないように何回も撮るんです。今でもそこに花があったら、頼まれてもいないのにやっぱり撮ってしまう。撮ることで自分と向き合っているような気がする時もあるし、やっぱり奥が深くて面白いんです。
ただ「好き」というだけではない何かがそこにはありそうですね。
そう思います。でも、自分が撮影してきたモチーフを分析すると、「人工的なものやねじ曲げられたものが好き」とか、「儚く消えてしまうものをとどめておくことに執着がある」とか、色々と答えることはできるんですけど、それがあるから撮影するというわけではないんですよね。まず撮りたいから撮っていて、その理由を考えるなら、おそらくこういうことなんじゃないか、ということでしかないんです。


(左)『永遠の花』より(2005)、(右)『Noir』より(2008)
現在は作品撮りとクライアントワークの割合はどのくらいなのですか?
時間的な割合で言うと、作品撮りは仕事の30分の1くらいだと思います。心の中での占める割合はまた全然違うんですけど、実質的な時間で言うと、ほとんど仕事をしています。どうやら作品撮りに関しては、時間があって、ずっと撮っていれば良いというわけでもないみたいなんですよね。
仕事と作品作りのバランスで悩むクリエイターも少なくないと思うのですが、蜷川さんにはそうした葛藤はあまりなさそうですね。
逆に仕事をしているからできることもあるんですよね。例えば、撮影でお花を使ったりするでしょ。それを事務所に持って帰ってくると、うれしくて翌朝少し早くきて、花を撮ったりするんです。それがもう作品になっちゃう。あと、海外ロケに行っても、だいたい私の撮影は「巻き」で進むので(笑)、時間が空くことが多いんです。そうい時は自分の写真がいっぱい撮れる。だから、海外で作品撮りをしていることがスゴく多いですね。別に必ずしも海外で撮る必要もないんだけど、やっぱり新しい場所に行くと気分がウキウキするから、自然と撮る量も増えるんです。

映画『さくらん』を経たことで、その後の写真に何か影響はありましたか?
『さくらん』に関しても、写真への影響は直接的には出ていないと思います。ただ、人生観は大きく変わりましたね。本当に大変だったけど、それによって我慢する部分と貫き通さなきゃいけない部分があるということを学んだし、色々な意味で勉強になって面白かった。あの作品が恋の物語ということもあったのですが、映画というのは、自分のことが反映されすぎてしまって怖いな、とも思いました(笑)。本当に丸裸にされるというか、写真と違って恥ずかしいくらい自分と地続きでしたね(笑)。
最後に、今回の展覧会を訪れる人達へメッセージをお願いします。
ポートレートなどの仕事の写真と自分の作品の両方を見てもらうことで、初めて完結すると思っているので、やっぱり全部を見てもらえる機会が作れたということはスゴくうれしいです。あと、生のプリントの美しさを感じてほしいですね。どうしても写真は、油絵なんかとは違って、雑誌や写真集などの印刷物が最終形のように思われがちなんですけど、やっぱり生のプリントは全然違う。そんなアナログの力強さも是非見てほしいと思っています。
「蜷川実花展 ─ 地上の花、天上の色 ─」は、11月1日〜12月28日まで、東京オペラシティ アートギャラリーで開催。



































