|
言葉や世代を超えて、多くの人々に喜んでもらえるインタラクティブ・コンテンツを生み出すことを目標としている制作会社。その制作活動を通じて、新しい仕事のカタチ、新しい会社のカタチまで探っていきたいと考えている。主なクライアントは、ポケモン やユニリーバ、 Cannes、 D&AD、 NYADC、 Clio、OneShow、Adfest、TIAAなど、これまでに150を越える広告賞を受賞している。 contact Bascule Inc. Address:東京都港区西新橋3-15-12 ケミカルビル URL:www.bascule.co.jp E-Mail:info@bascule.co.jp |
![]() Bascule(2006) |
![]() Bascule(2006) |
![]() Gyorol(2008) |
![]() 魔球ロワイヤル(2008) |
![]() 魔球ロワイヤル(2008) |
![]() ポケモンGTS(2007) |
![]() ポケモンだいすきクラブ(2007) |
![]() Paradise Chat "OTTIKI"(2003) |
![]() Paradise Chat "OTTIKI"(2003) |
![]() Kyo-Geki(2003) |
![]() Ohayo Players(2002) |
![]() Ohayo Players(2002) |
![]() Oh! YETI(2002) |
業界が成熟し、需要が飽和状態にある日本のWebデザイン業界において、Basculeほど数多くのオリジナルワークをコンスタントに発表し続けているWebデザインチームはほぼ皆無と言っていいだろう。話題を集めるキャンペーンサイトを次々とリリースする傍ら、それらと同様、いや、それ以上の力を注ぎ込むエンターテインメント性と実験性を兼ね備えたプライベートワークにこそ、BasculeをBasculeたらしめている所以がある。インターネットが持つ真の力を頑なに信じ、インタラクティブ・コミュニケーションのネクストレベルを模索するBascule代表・朴正義氏を取材した。
Text:原田優輝
まず始めに、Bascule設立当時のお話を聞かせてください。
独立前は、CG制作会社でプランナー/プロデューサーとして働いていたんです。その会社は当時、自らハリウッド映画を作るという巨大プロジェクトを抱えていて、僕が作りたいものがあっても、「そんな小さな案件はいらない」とばかりに、なかなか実現できないことが多くて…。結局そこでは2年間働いていたのですが、カタチになる仕事は全くできませんでした。会社に対して申し訳ないと思いながらも、時間だけはあったので、その頃からより積極的にインターネットに触れるようになりました。97、98年頃といえば、「Hotwired」(現「WIRED VISION」)が全盛期で、なんだか夢があふれていたんですよね、僕にとっては。インターネットで社会のヒエラルキーがひっくり返るくらいの雰囲気があったし、単純にカッコ良くみえた。そんな時代の空気を感じてしまったのがきっかけとなり、独立を考えるようになったんです。
その当時はWebに対する知識はどの程度あったのですか?
技術的なことはほとんど何も知りませんでした。だから、すぐに独立するのも難しいと思い、日本で最も早くからWeb制作の仕事をしている会社を紹介してもらい、まずは現場でWebの実態をつかもうと転職することにしました。そこでは、堅めのサイトをつくることが多かったのですが、Webの制作に関わって思ったのは、Webの役割がスゴく一面的だなということと、「これを作るんだ!」という意気込みのあるクリエイターがあまりいないということでした。例えば、紙媒体の仕事と一言に言っても、ポスターや広告、雑誌など様々な領域がありますが、Webとなると当時はカタログを置きかえたようなものばかりだったんです。その先に、あの夢を感じることはできませんでした。もっと「Webならではの」という部分を突き詰めた制作がしたいと思うようになり、Basculeを立ち上げることにしたんです。

「Bascule」(2006)
設立当初は何名くらいのスタッフがいたのですか?
僕自身は、自分で手を動かしてモノを生み出せるクリエイターではなく、新しい仕事を作ってディレクションをするというプロデューサー兼ディレクターという立ち位置でやってきていたので、最初から7名のクリエイターに参加してもらいました。うち3人がICCの展示物の制作に関わっていた子だったこともあり、「この会社は普通のWeb制作会社じゃない!」と、根拠もないのに威勢の良いことを言ってました(笑)。そんなことを言った手前、面白い仕事を創らなければという強迫観念のようなものが常にあり、それが今に続いている感じなんです(笑)。
設立後、ターニングポイントとなった作品等があれば教えてください。
設立当初から広告の仕事をメインでやりながら、並行してオリジナル企画を考え続けていたのですが、手応えのある企画にたどり着かず、最初の2年間くらいは金銭的な心配とともにずっと悶々としていました。そんななか、開発ツールとして機能が飛躍的に向上したFlash5が登場したことで、以前から作りたいと思っていたリアルタイムで多くのユーザーが同時に繋がれるマルチユーザーコンテンツをブラウザ上で実現できる環境が整ったんです。それに食らいついていきました。とはいえ、すぐ仕事に直結するアイデアではないと思っていたので、まずは国から助成金をもらい、自分たちで「FACEs」というFlashで動くマルチユーザーのサーバーアプリを作り、それをオープンソースとして公開したのです。これをリリースした辺りから周囲の目も変わってきた感じはありましたね。

「FACEs」(2002)
クライアントワークではなく、オリジナル作品で評価を高めていったのですね。
そうですね。僕自身、インターフェイスというよりも、コンテンツ企画で勝負したいという想いがずっとあって、企画を考えてはストックしていました。そんな地道な努力の積み重ねがあったので、「FACEs」をきっかけにうまく流れに乗れた気はしています。
当時はまだ、最先端の表現をしているWebクリエイターは、個人単位で活動している人が多かったように思うのですが、それをチームでやろうとしているところがBasculeの大きな個性ですよね。
今でも面白い制作をしている会社は、少人数でやっているところが多いと思うのですが、うちの場合は、チームだからこそできる面白いものを、みんなで作っていこうという意識でやっています。収益をあげるのが難しいので、クライアントワークと掛け持ちで頑張っているつもりですが、万が一に備えて、スタッフにはどこでも食べていけるキャリアとスキルを身につけてもらってます(笑)。
現在の会社の規模を教えてください。
今はスタッフが37名いて、企画・進行管理、デザイナー、プログラマーがそれぞれ3分の1くらいずつという内訳です。
どのようにしてプロジェクトを進めているのですか?
2、3年くらい前までは、僕がほとんどの案件の企画に関わり、おおまかなカタチを決めて、その後はプロジェクト・マネージャーやデザイナーたちが進めていくというやり方をとっていました。でも最近は、その割合を一気に減らしていこうとしているところなんです。僕自身、社長という逃げられない立場になってから、スキルがグンと向上したと自覚してるのですが、本当に立場が能力を高めてくれるんだな、と実感したんです。だから、スタッフたちにもどんどん自発的にやってもらい、仕事そのものをつくれるようになってもらいたいです。そうしていかないと、面白い仕事でもマンネリ化していってしまいますからね。

「Oh! YETI」(2002)
社内のクリエイターが個々にメディアに取り上げられることも多いようですね。
それは意識している部分ですね。僕が社員として勤めていた会社は、どちらかというと社長のワンマン会社という感じだったのですが、その反対を心がけようとしています。特にWebのクリエイターには、ひとりでやるという選択肢が常につきまとうものですが、「Basculeにいるとひとりでやるよりいろんなチャンスに巡り合える」というスタッフが主役の会社にしたかったのです。もちろん僕自身も作りたいと思っているものはありますが、スタッフそれぞれが面白いと思うものを作っていくことで能力を発揮していってもらわないと、何でもアリの業界だけにすぐ停滞してしまうだろうな、と。だから、今の仕事ももっとスタッフたちに任せて、僕は僕でまた違う仕事を見つけられればと思っています。
「違う仕事」というのは、具体的にはどういう類いのものなのですか?
実は僕のなかでは、Basculeは新しい時代の会社を作るためのプロジェクトみたいなものと位置付けているんです。インターネットはその登場以来、まさに世の中を変えてきましたが、実際に僕らの仕事のやり方にも大きな影響を与えています。インターネットを活動の場としているWeb制作会社としては、そこも先駆けてやっていけたらなと思っているんです。まだ見えていない状況ですが、従来の常識と異なるワーキングスタイルを試み、新しい会社像に近づいてみたいです。あと、昨年から携帯電話のサイト制作にも力を入れ始めています。正直、この小さな画面に命を燃やすということ自体、なかなか考えにくいスタッフも多いと思うのですが、だからこそ、まず率先して、携帯でもスゴい世界があるということをみんなに感じてもらいたいなと思っているんです。
すでに製作している作品などはあるのですか?
先日、横浜で開催された『エレクトリカル ファンタジスタ』というイベントに参加したのですが、その時に出展した「GYOROL」という作品があります。簡単に言うと、携帯電話で魚釣りをするというコンセプトなのですが、Webサイト上にあるQRコードを携帯電話で読み込み、PC画面上に表示される「浮き」を携帯電話で操作し、画面上を泳いでいる魚を釣ったり、水槽に入れたりできるマルチユーザー参加型の作品です。会場では、水槽の画面をプロジェクターで床面に投影し、訪れた人たちが携帯電話を使って、水槽の中を泳いでいる魚を釣る事ができるというインスタレーションをしました。この作品もそうなのですが、いかに新しい体験をユーザーに提供できるかというところが一番興味のあるところなんです。



「Gyorol」(2008)
新たな可能性が感じられる作品ですね! PCサイトでも『魔球ロワイヤル』を最近リリースされましたが、このようなオリジナル作品についても、チームを編成して取り組まれているのですか?
そうですね。プロジェクトにもよりますが、クライアントワークよりも人数をかけることも多いです。実際にこれらの作品が、Basculeの宣伝になることもあるのですが、何よりも僕自身がWebやインターネットが好きなので、人のサイトばかり作って、自分たちのものを作らないと、今の環境を活かしきれてない気がするんです。インターネットにはもっと人の心を動かす力があると信じているし、それを自分たちで示したい。それこそがミッションだと密かに思っていますね。
Web業界が成熟していくにつれて、クライアントワークばかりに時間を取られてしまうクリエイターが増えている気はします。
昔の方がもっとクラフトマンシップがあった気がするんですよね。本当に作りたいものがあるからやっているというノリがあった。今はなかなかそういうものがなくなってきていますが、自分たちのなかでは常に持っていたいとは思いますね。少し話が変わりますが、うちでは「ポケモン」のサイトを作らせてもらっていて、多くの子供たちに楽しんでもらっているのですが、彼らにはWebをやっている意識はないと思うんです。アニメやゲームなどと同列の選択肢のなかからWebを選んで、使ってくれている。そういう方が純粋に評価されている気がするし、とてもうれしいんですよね。
お話を聞いていると、インターネットを使って、映画や音楽などのエンターテインメント作品に並ぶようなものを作っていきたいという意識が強く感じられます。
そこまで言うと気が引けるところもありますが、その気概は持っているつもりです。それがどんなものなのか、まださっぱり見当がついていないのですが。他の業界に比べて、Webクリエイターの地位は低いと思うのですが、実際、文化といえるものを発信することができていません。でも、個々にはもっと認められるべき仕事をしている人もいますし、そういうクリエイターたちと連携して何かを作り、そこにスポンサーたちが「広告を出したい」と名乗りを上げてくるくらいのものが作れたらなと考えています。そういうところから、もっとWebを素敵な場にしていきたいですね。自社サイトに臆面もなく書いていますが、子供たちに夢を感じてもらえる会社になれたら幸せだと思っています。

「魔球ロワイヤル」(2008)
BasculeがPublic/imageのために制作してくれたオリジナル魔球!!
























