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61年東京生まれ。83年桑沢デザイン研究所卒業。90年株式会社サルブルネイ設立。グラフィックを中心とした様々なジャンルの企画、デザイン及び、著者・原作者としてデジタルメディアなどの企画制作の2軸で活動。最近の仕事として、水戸芸術館「海洋堂展」、LAFORET GRAND BAZARM、横浜トリエンナーレ、BEAMS30周年カタログ雑誌「B」等。07年より、雑誌や書籍、絵本や写真集、日記などの本(ブック)が作れるWebサービス「BCCKS」をスタート。
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90年代、マッキントッシュとDTPの黎明期からいち早くデジタルメディアに注目し、フロッピーディスクを表現媒体に用いた『フロッケ展』や、CD-ROM『ジャングルパーク』などを展開、フォントブームや自作コンピュータメディアの先陣を切ったデザイナー、松本弦人。一方で書籍、広告などでも骨太なグラフィックを多数展開し、東京ADC、東京TDCなど数々の受賞に輝いていたその彼が、ある時期、忽然と姿を消したー。自身の会社「サルブルネイ」を解散し、体ひとつに立ち返っての再起劇。果たして何が起こったのか? そしてこの春に発表された新生メディア『BCCKS(ブックス)』とは? 一時代を築いた男の立志伝と転生、そして新境地に迫るべく、インタビューを敢行した。
Text:深沢慶太
松本さんの活動といえば、かつてのCD-ROMやゲーム作品など、デザイナーという肩書きに収まりきらないカルチャー発信型のものが多いように思いますが、ご自身のスタンスについてどう考えていますか。
親父がデザイナーあがりの画家だったので、物心付いた時から絵を描かされていたんです。一方で、住んでいた場所が立川の中でもガラが悪い地域で、家の中では絵を描いて、外では地元の悪党の子供たちと遊んだり、ケンカしたりしていました。家の中でも、油絵でゴッホの模写をさせられる一方、粘土で仮面ライダーを作ったりして、親父もその仮面ライダーの造形を「美しい」と言ってくれたりしていた。その頃から「自分の中で興味があることはぜんぶ一緒」という感覚は変わらない。
「好きなことであれば、ジャンルの区別は関係ない」ということでしょうか?
今でこそ、あらゆるものがカルチャーとして受け容れられる世の中になってきたけど、オイラがデザイナーになった頃とかって、文化は文化、芸術は芸術であって、アニメやマンガは別物というのが常識だったからね。ちょうどその頃にドラクエが発売されて、あまりの面白さに会社を1週間サボって熱中したりしたけど(笑)、どのメディアも同じ年に公開された映画『ミツバチのささやき』を見なかったら日本にいた意味がないくらいな言い方がされてたんだけど、オイラとしては「いや、それを言うならドラクエでしょう!」って感じだった。そういう感覚をデザインにも込めてきたんだけど、それは奇をてらってきたということではなくて、単純にそれがオイラにとってカルチャーだったんです。今なら普通の話だけどね。

活動の中でいち早くコンピュータを取り入れていますが、それもその感覚の延長でしょうか。
それはまた少し違った話になるんだけど、基本的には「メディアを作りたかった」ということなんですよ。自分の中ではデザイナーになりたかった動機と、メディアを作りたいという動機はほぼ一緒。というのは、高校生の時にすでに絵がうますぎて、何を描いても思い通りに描けちゃって「つまんね〜」と思っていたところに、細谷巖がデザインしたアヲハタの新聞広告を見て、衝撃を受けた。一度にものすごい数の人が目にする新聞に比べて、うちの親父の場合、何ヶ月もかけて描いた十数枚の絵を銀座の画廊に運んで並べて、来る客といえば知り合いや生徒さんだけ、という労力やメディア性の違いを実感したんです。だから、デザインの延長線上につねにメディアを意識してきましたね。コンピュータに一番惹かれたのはインプット、アウトプットのスピードとフローの省略。「ああ、これで誰でもメディアが作れる」って思いました。
過去に手掛けたメディアとしては、どんなものがありますか。
時間軸に沿って並べてみると、自分でも驚くほど、目的に向かって試行錯誤してきたんです。、いちばん最初はフォントとアニメーションを入れたフロッピーディスクと、DTPで制作したブックレットのメディア『ape』(92年)。その次が村上隆や池松江美(辛酸なめ子)ら21組のアーティストにそれぞれフロッピー1枚に作品を収めてもらった『マッキントッ書』展(93年)、その作品を一般公募したのが『フロッケ』展(94〜00年)で、その次に飛び出す絵本をCD-ROMで表現した『PopUpComputer』(96年)、同じくCD-ROMの『ジャングルパーク』(97年)、ニンテンドー ゲームキューブの『動物番長』(02年)を作って、そして今作っている『BCCKS』に至るという感じかな。『フロッケ』にしても、コンピュータ上で本というフォーマットを初めて表現した『PopUpComputer』にしても、「web上で自分の本を作ろう」というコンセプトの『BCCKS』と、目指しているところは同じなんです。



(上)『ape』(92年)、(左下) 『動物番長』(02年)、(右下) 『ジャングルパーク』(97年)
ゲームで松本さんのお名前を知った人も多いように思います。
ドラクエに衝撃を受けて以来、ゲームを作りたいと思い続けてきて、その念願がようやく『動物番長』で実現したんだけど、それまでどんな作品でもやりたいことの最低7割は実現してきたのに、番長では3割しかできなかった。宮本茂から「ゲームなんて、やりたいことの1割くらいしかできないのが普通」って慰められたんだけど、逆にショックを受けましたね。おせーよってカンジなんだけど、それが最初の挫折。その後荒れちゃってさ。公私ともに。で、とにかく何かをスパークさせようとムチャムチャしてたら、結果、刑務所に行くことになってしまった。具体的には、人を轢き殺す以外の道路交通法違反すべての累積、という感じだったんですけどね。
その時の体験と現在に至るまでの経緯は、『BCCKS』にUPされている『After Prison Uncut』に詳しいですが、その間にいわば裸一貫になったわけですか?
自分の会社『サルブルネイ』は解散して、家具も資料も全部迷惑かけた友達に持っていってもらって、出所してきた時に残った仕事道具はPCとカメラ一つだけ。やろうと思ってもそこまで身の回りのものを削ぎ落とすことは不可能ですよ。刑務所に入ってみたほうがいい、おすすめしますよ(笑)。



BCCKS「After Prison Uncut」より。
その経験を通して、どんな変化がありましたか。
8ヵ月も自分自身についてじっくり考える機会なんて普通ないじゃないですか。それはおもしろかったですね。もちろんPC無いから手描きだし。情報は遮断されてるし、人間(囚人)関係は超独特だし、出てきた時は逆にいま自分が持っている能力で勝負するしかないわけで、デザインに対して環境とか情報とかでなく身体で向き合うようになりましたね。
出所されてからの大きな仕事としては、ビームスの雑誌『B』もそうですが、やはり『BCCKS』ということになるのでしょうか。
そうですね。これまで手がけてきたメディアの要素がぜんぶ入っている、大きな仕事だと思っています。そもそもこれはオイラの企画で、それを実現するために知り合いに声を掛けて共同出資で会社を立ち上げて、今はこの事務所での仕事のほとんどを『BCCKS』の仕事に集中させています。


ビームス『B』より。
そもそも『BCCKS』とはどんなサービスなのでしょうか。
基本的には、「web上で本を作ることができる」サービスです。本を作るのについて回る問題であるコストや時間を気にすることなく、すぐ作れて、すぐ見ることができるメディアですね。
3月に一般公開されたばかりですが、現在ではどのような段階にあるのでしょうか? すでにUPされている作品も、かなり充実した人選とボリュームで驚きました。
オイラもびっくりした(笑)。まだオープンテスト版だけれども、オイラの半径30mの中にいる人たちに声を掛けて、最初の作品を作ってもらいました。そういうプロの人が作った作品と、一般の人が作るCGM的な作品とが、同じ場所に等価に並んでいることがポイントです。素人が作った方が面白い場合もあるし、両者が互いに影響し合って、新しいものが生まれてくる場にしたいと考えています。
今後の展開予定や、個人的にやりたいことを教えて下さい。
いつもそうなんだけど、今後やりたいこと=その時やっていることなので、今はほとんど『BCCKS』に集中しています。作れる本のフォーマットなどの機能が充実してくる予定なのと、夏には某出版社と組んでイベントを開催する予定です。でも今はまだまだ、家に例えるなら屋台骨が建ったばかりなので、これからが勝負だと思っています。期待していてください!

『BCCKS』(2008)




























