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78年名古屋生まれ。99年金沢美術工芸大学日本画専攻卒業。03年GEISAI 4にて銅賞受賞。主な個展に「SMOKE」ウエストベスギャラリーコヅカ(名古屋/03年)、 山本現代フューチャーフィーチャー「CREAM」山本現代(東京/06年)、「Equinox」MOGADISHNI AAA(オルフス、デンマーク/08年)。グループ展に「TOKYO > COPENHAGEN」MOGADISHNI CPH(コペンハーゲン、デンマーク/07年)、「DREAM of the SKULL」山本現代(東京/08年)など。
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招き猫、福助、妖怪など日本独自のモチーフが、アクリル絵具を用いたカラフルな色彩とマンガを思わせる軽快なタッチで描かれる大竹司のペインティング作品。自身にとってリアルな「インプット」から意味やメッセージ性を削ぎ落とし、そこにスペクタクルな要素を加えることで、あえて表層的な視覚体験として「アウトプット」された作品の数々は、我々の目を楽しませてくれると同時に、言いようもない違和感をも抱かせる。空洞化したモチーフと色彩の集積による「純粋表現」で、「布の上に絵具で描かれる」という絵画の本質に迫ろうとする名古屋在住の新進アーティスト大竹司の活動を紹介する。
Text:原田優輝
まず始めに、本格的に絵を描かれるようになるまでの経緯を教えてください。
絵の勉強を始めたのは中学3年生の夏からです。当時は、高校受験のためにデッサンをやっていました。そのまま高校では美術科に進み、3年生の時に日本画を選択肢し、大学でも同じく日本画を専攻しました。
なぜ日本画を選ばれたのですか?
「なんとなく(日本画で使われている)画材が好き」というくらいで、特に「日本画」というジャンルに興味があったわけではないんです。大学で学んでいる時も、植物や風景などはあまり描きたくなくて…。それは日本画専攻の学生としてはあまり良い傾向ではなかったと思います。
そこから現在のようなスタイルに移行された理由は?
それまでにずっと日本画を学んできて、「日本画を描いている」「特別な絵の具を使っている」という行為に酔っている自分や、周りの雰囲気がイヤになったんです。自分にとって、もっと自然な形でインプットとアウトプットを繋げた方がいいと思うようになり、現在に至っています。
Pasta(2004)
Courtesy of YAMAMOTO GENDAI
「もっと自然な形でインプットとアウトプットを繋げる」とは具体的にどのようなことなのですか?
例えば、普段激しい音楽やコアな音楽なんかを聴いている人間が、山や川、老人などアジのあるモチーフを描く。そういう自覚的なギャップがイヤになったんです。カッコ悪くても、自分の好きな映画や音楽などとちゃんと繋がっていないといかんなと思ったんです。
これまでに影響を受けたクリエイターやカルチャーなどがあれば教えてください。
大学3年生の頃に、雑誌で当時「若手日本画家」として紹介されていた会田誠さんのことを知ったんです。少し失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、スゴい技術があるにも関わらず、「体制側」にいないがために浮かばれない人、という印象を受けました。その時に「この先も日本画を続けていくなら、自分もこういう感じでやっていきたい」と思った記憶があります。今の自分はもう日本画をやっていませんし、会田さんも日本画家ではないことがその後分かったのですが、いつも気になっている存在です。
OMEGA(2005)
Photo: Keizo Kioku
Courtesy of YAMAMOTO GENDAI
大竹さんの作品には、日本古来のキャラクターや現代のマンガ、セーラー服など、日本独自のカルチャーや感覚を意識したモチーフが多いと思いますが、これらのモチーフに興味を持たれている理由を教えてください。
例えば、日本を訪れた外国人に人気があるお土産は、日本人形などなのですが、そういったお手軽なジャポニズムや浅はかな日本感を醸し出す方が誠実かなと思っているんです。以前はもっと露骨に「日本人の描く絵」を目指して、日本独特のモチーフを描いたり、風刺みたいなことをやったりしていました。「何にもなさそうで、実はなんらかのメッセージや意味が含まれている」ような作品を作ろうとしていたんですね。でも今は逆に、「何かありそうで何も無い」作品を目指していて、その「何かありそう」の演出のために、多くの人の記憶に触れるようなモチーフや素材を利用しているところがあるんです。
その心境の変化に至ったのはなぜですか?
メッセージ性の強い作品を作れば、満足感は得られるのですが、結局作品が自分のコントロールのできる範囲を超えていかないから、薄っぺらなものになると気付いたんです。逆にメッセージや意味を削ぎ落としていくと、作品が自分のものでは無くなっていく気がして、そこに「ずっと捕まえられない魅力」があるんじゃないか? と思うようになったんです。
The Horizon(2007)
Photo: Keizo Kioku
Courtesy of YAMAMOTO GENDAI
それらのモチーフがうねるような曲線で描かれているのが非常に印象的なのですが、なぜこのようなライン取りをするようになったのでしょうか?
マジメに具象画を描いていくと、どんどん窮屈になってしまうんです。現在のスタイルは、それから逃れて少し自由になるための手段だったんです。また、煙や水が何かに見える瞬間、絵が動きの中での一瞬に過ぎないことを表すための手段でもあるんです。そもそも具象画とは、どんな作品でも「一瞬を捉えたもの」には変わりないわけで、それを「少し大げさにしたい」とか「ちょっとしたスペクタクルな感じが欲しい」という精神が、現在の画風につながっているのだと思います。
ペインティングや切り絵など、現在大竹さんが主な表現手段とされている平面表現の面白さは、どのようなところに感じていますか?
厚さ1ミリにも満たない絵の具の重なりに、人々が様々な感情を抱くことができるという点で、(平面表現は)基本的に錯覚の世界だと思っているのですが、そういうところが面白いですね。例えば、切り絵なんて、紙の量を減らしていくだけの作業で、そこにあるのはあくまでもただの「紙」ですからね。
Ribbon(2007)
Photo: Keizo Kioku
Courtesy of YAMAMOTO GENDAI
その「錯覚の世界」のなかで、どのようなことを追求していきたいと思っていますか?
例えば「モナ・リザ」なんかでも「布の上に色の粒子がランダムに張り付いている」という点では僕の絵と変わりがないんです。でも、美術作品ではその背後にある価値がすごく大きい。だから、あくまでも絵の具の層の最も外側の表面、鑑賞者の視覚的な体験だけに訴えかけるような作品で勝負したいと思うんです。
作品制作とは大竹さんにとってどのような行為なのですか?
作品を作っていれば、たとえ一生他人と関わらなかったとしても、自分が存在しているということを自分自身で認めることができます。だから、最終的には「自分」という存在を確認するための行為なのかなと思っています。最近は、陶器やステンドグラスなどもやっているのですが、上手くなった表現だけを続けるのではなく、「上手くいかないもの」をあえて作ることも大切かなと思っています。作品とはあくまでも、作家の現時点での「享受」や「選択」の結果だと思っているので、その時々で自然とできてくるものを表現していきたいですね。
最後に、今後の予定について教えてください。
4月4日から5月3日までデンマークのMOGADISHINI AARで個展「Equinox」を開催しています。来年は、東京・山本現代で個展をする予定です。
“Cream” exhibition view at YAMAMOTO GENDAI 2006
Photo: Keizo Kioku











