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広島県生まれ。東京TDC賞金賞、NYADC金賞、ブルノ国際グラフィックデザインビエンナーレ グランプリなどの賞を受賞する傍ら、数多くの個展、グループ展にも参加し、アーティストとしても高い評価を得ている。
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東京都現代美術館(展覧会期間中のみ[〜4/13])
Tel:03-5245-4111(代表), 03-5777-8600(ハローダイヤル)
Address:東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)
URL:www.mot-art-museum.jp E-Mail:kantyo@mot-art.jp |
立花文穂の作風を一言で説明するのは難しい。皺が寄った紙の端切れに、不揃いに刷られた活版の文字が並んでいる。無造作に思えるほど手作業の跡を残した造本や、紙を積み上げたり、テープ留めしたインスタレーションなど、このデジタル全盛の世にあって、コンピュータでは成し得ない手跡の生々しさを湛えた作品たち。TDCや国際グラフィックビエンナーレで金賞を受賞するなど、グラフィックデザインの分野でも数々の実績を持つが、東京都現代美術館での展示(「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」)は、オフビートなまでにクシャクシャでシワシワ、そしてポエティックなのだった。いったい彼はデザイナーなのか、アーティストなのか? そう問わざるを得ない我々の既成概念を解きほぐす、伸筋抜骨、揉み返し必至のインタビュー。
Text:深沢慶太
立花さんはグラフィックデザイナーとして知られていますが、その作風は“デザイン”という括りに収まりきらないように思います。実際、今回の「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」への参加など、アート作品も展開されていますが、どのようなスタンスで活動をされているのでしょうか?
デザインとアートの両方の領域にまたがっているように見えて、そのどちらにも入れてもらえていない、両者の間の「溝」のようなところにいる感じです(笑)。デザインとアートというジャンルがあること自体については、両者は決定的に異なるものだと思っているのですが、自分が表現する作品ということでは、あまり区別はしていません。「自分で作りたいものを作る」ということがまず前提で、その先に、「デザイン」や「アート」といったジャンルがあるわけで、僕がデザインだと思って作っていても、「これはアートだ」と言われることもありますし、一方でその逆もある。以前は、自分の作品がデザインなのかアートなのかということで悩んだ時期もありましたが、最近はそういったジャンル分け云々よりも、「自分のなかでどうありたいか」ということを中心に考えられるようになってきた。そういう意味で、今はとても良い立ち位置で制作できているのかな、と思います。
「作りたいものを作る」ということですが、自分の作家性に対する評価が確立されるまでは、創作意欲とクライアントワークとの間で葛藤するケースが多いように思います。立花さんの場合はどのようにして、今の立ち位置に至ったのでしょうか?
大学を出てから「デザインをしたい」と思っても、クライアントがいるわけもなく、仕事が来るわけでもなかったので、自分の展覧会のためのDMを作るとか、「とにかく何か印刷物を作りたい」というところからスタートしました。それは言わば、紙をコラージュしたりといった手作業の延長線上にある感覚なんです。だから当時から、やっていること自体はそんなに変わらないんですよね。それをたまたま評価してくれる人がいた、ということです。雑誌『アイデア』での特集(2000年)にしても、いわゆる「グラフィック・デザイン誌」的なアプローチではない作品を提出したのですが、それでも当時の編集長が受け入れてくれたから実現したことです。それはとてもうれしいことですよね。
グラフィックデザインや印刷物に興味を持ったきっかけを教えて下さい。
実家が小さな製本屋なので、子供の頃から断裁されたトンボ入りの紙切れを束ねたものをメモ帳代わりに使っていたんです。その頃は「なんでこんな紙に書かなきゃいけないんだろう」と思っていましたが、今となっては当時の体験が生かされているのかな、と思います。「グラフィックデザイナーになりたい」と思ったきっかけは、横尾忠則さんのペインティングによるレコードジャケットです。衝撃的な出会いというか、「グラフィックデザイン」という言葉の響きに騙されたというか(笑)。美大ではデザインを専攻していましたが、確かに活版印刷やシルクスクリーンの実習もありましたけれども、ほとんど学校に行かず、人にやってもらっていました(笑)。その後、「働く前になんとかもう少し時間がほしい」と思っていたところ、東京芸大の大学院に拾われた。その当時から、誰に見せるでもなく作りたい作品を作っていましたね。最初の個展は92年頃、『美術手帖』に「無料で展示をできる」と書いてあった阿佐ヶ谷にある喫茶店「西瓜糖」で。通い詰めてお願いをして、ようやく実現しました。その時の作品からして、街中で撮ったスナップ写真を4色分解し、それをシルクスクリーンでB全サイズに刷って壁にべたべた貼ったようなものでしたから、モノの見方こそ多少変われど、やっていること自体は15年以上経ってもあまり変わっていないんですよね。
『口(くち)』インスタレーション風景(2008) MOTアニュアル2008「解きほぐすとき」at 東京都現代美術館
そうした作品制作のモチベーションはどこから来るのでしょうか?「とにかく手で紙を触っていたい」という欲求から?
最近はよく、完成の見通しが立った時点で、「ここから先の細かい作業をやってくれる人がいたらいいのに」と思うんです。でも、そこまで任せられる人がいないから、仕方なしにやっている(笑)。どういうことかというと、喫茶店で考えを積み上げていくという、最も大切な部分さえ大きくブレなければ、後はもう自分の手元から離れてもいいということです。例えば今回の展示作品にしても、新聞紙を丸めて置いてある作品は、元々は引っ越しを手伝ってもらった子が運びやすいように丸めてたのを見て、それを持ってきたものなので、人の作品といえば人の作品(笑)。でも、それを僕が見て「いいな」と思ったことによって物語が始まるわけで、それは僕がいま写真を撮っていることと同じことなんです。つまり、僕が撮ることによって物語が始まるわけだから、そこには僕が見ているものさえ写っていればいい。だからヘタクソでいいんだけれど、でも意外にちゃんと撮れちゃったりするから、そこが難しい。実は、僕は性格的に意外と堅いところがあって、どうしてもデザイン的に端を揃えたりしてしまいがちになる。でも、「本当はそうじゃない方がいいのではないか」と常に思っていて、それをどれだけ「自分じゃないもの」というカタチで作品に残せるかというかが、自分にとっては重要なんです。「このまま突き詰めていけば完成するだろう。でもそもそも、“完成”ということは果たして必要なのかな」と思いますね。
紙がクシャクシャになっていたり、インクの付いた手の跡が残っているようなものが多く見受けられますが、これは意図的なことでしょうか。
例えば、活版で大きな円を刷ってある作品ですが、あれは本来の使い方とは違うやり方で、印刷機に合わないような大きな紙を無理矢理押し込んでプレスしているからクシャクシャになっているだけですし、インクの手跡にしても、付けようと思って付けているわけじゃない。線を一本引くのにしても、活版の版を固定する力のバランスでできあがってくるのが面白い、それだけです。例えばリチャード・セラの作品の曲線は、鉄板の力学と周りの空気によって生まれてきているわけで、それは活版印刷の世界にも通じる感覚だと思うし、自分が面白いと感じる部分も、そういうところにあるということです。
今回、展示室の空間をまるごと使った「口(くにがまえ)」という新作も発表されていますが、その経緯について教えて下さい。
東北芸術工科大学の美術館大学構想室からアーティスト・イン・レジデンスの話があって、そこで学芸員と話しているうち、「自分がやっていることは実は、学問的なことに近いんじゃないか」と思ったんです。学問と言ってしまうと偉そうだから、そのもっと「馬鹿バージョン」みたいな感じだけど(笑)、要は表現自体が目的なのではない、ということなんです。これまでにも、インドで集めてきた紙で本を作ったりしたこともあるのですが、そういう行為を表すにあたり、「アート」とは少し違った言い方があるのかもしれないと、そんなことをちょうどその頃に考えていました。それで今回は、東北の田舎の温泉郷に行った時に、その集落で行われている、30人くらいで車座になって大きな数珠を全員の手で回す「数珠回し」という風習の話を聞いて、「それは面白いな」と思ったので、餅で作った数珠を回してもらい、記録しました。僕はこれまで1人でものを作ってきましたが、今回の作品は集落の人々の協力を得たりするなど、状況を含みつつ無理なくできあがったもので、自分の中では良い体験でした。そのように、ある状況に人々と自分がいることによってひとつの物語が生まれてくる、それを面白いと思えるようになったという点では、自分の中である意味、ステップアップできた作品だったのかもしれませんね。

『口(くにがまえ)』(2008)
そうした作品を通して、見る人に何を伝えたいと思っていますか?
今回の展示全体を通して、ここ3〜4年の間に考えていることのプロセスを見せたかった。例えば、「餅で作った数珠回し」にしても、必ずしも記録を見せたいわけではないんです。僕のなかでは大体まず「文字」ということがベースにある。今までは「口(くち)」ということを考えて作ってきていて、例えばスペースなどが僕の中のテーマではあったのですが、今回のこの「口(くにがまえ)」(註:漢字において「国」などの字の外側の部分のこと)という作品は、「口(くち)」というスペースから、さらにそこに状況や人が関わってきたということを表しているんです。そして、展示室の四角い空間自体も「口(くにがまえ)」だなあ、と。
最後に今後のご予定について教えて下さい。
僕が出している季刊誌『球体』(六耀社)の2号目が出版されました。そこには今お話しした「数珠回し」の話も詳しく載っています。あとは6月にチェコ・ブルノで開催される『グラフィックデザイン・ビエンナーレ』の中で個展をやります。展示の打合せをしている時に、「デザインビエンナーレというくらいだから、もう少しデザイン的なことをやったほうがいいよね?」と聞いたら、「そんなことはない。あなたがやっていることはすべてタイポグラフィや印刷のことが下敷きになっているのだから、好きなことをやればいい」と言われました。「それはやりやすいな」と思いましたね。それでちょっと気分が楽なんです (笑)。
立花氏が参加している展覧会『MOTアニュアル2008 解きほぐすとき』は、2月9日から4月13日まで、東京都現代美術館で開催中。


『球体2』(六耀社)より。
















