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61年神奈川県生まれ。構成作家として『ダウンタウンのごっつええ感じ』『タモリ倶楽部』『笑う犬の生活』『TV’s HIGH』『トリビアの泉』ほか、多くの伝説的なテレビ番組に関わる。また、作・演出家として00年までシティボーイズ (大竹まこと・きたろう・斉木しげる)のライヴを手掛ける。ドラマでは02年『優香座シネマ 〜お湯は意外とすぐに沸く〜』、03年『演技者。/いい感じに電気が消える家』などを手掛け、05年には映画『イン・ザ・プール』、『亀は意外と速く泳ぐ』、06年『ダメジン』、07年『図鑑に載ってない虫』と続々と公開、気鋭の映画監督としても注目される。同年、テレビ朝日系のコメディ・ミステリードラマ『時効警察』ではメインの脚本・監督を務める。テンポのいいセリフや小ネタを積み重ね、絶妙のバランスでストーリーにしていく独自のスタイルで多岐に渡る活動を展開している。
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続編も作られたドラマ『時効警察』の脚本・演出で知られる三木聡。大学時代、バラエティ番組の構成作家としてキャリアをスタートさせ、シティボーイズの舞台の作・演出を経て、現在は映画監督として精力的に作品を生み出している。テレビ、舞台、映画と、さまざまなメディアにおいて、彼がこだわり続けているのは“コント”や“ギャグ”、すなわち「笑い」。オダギリジョーを主演に迎えた自身5本目の監督作となる『転々』で新たな境地を開いた三木監督に、「笑い」を表現することについて聞いた。
Text:須永貴子
藤田宜永さんの小説『転々』を、三木監督が映画化した経緯を教えてください。
プロデューサーから原作を渡されて、映画化を前提に読みました。大学生と借金取りの2人が霞ヶ関まで東京を散歩するという設定は、コントにしやすくていいなと思ったんですね。移動が多ければ、ヘンな人や出来事に遭遇する確率が高いので。
『転々』は、前作の『図鑑に載ってない虫』に比べると、引き算の笑いのような印象を受けました。
『図鑑〜』は足し算でしたから、確かにその逆ではあると思います。同じ方向にばかり振り切っていくと、たぶん自分で飽きるし、崩壊してしまう。そこは自分の振り幅でバランスを取っていると思います。
三木さんが表現したい「笑い」は、テレビや舞台と、映画において、違いはありますか?
ソウルというか、感覚みたいなものは一緒です。その表出のさせ方は、メディアが違うからもちろん違います。
映画での笑いはずっとやりたいと思っていたんですか?
はい。でも、映画界が許してくれなかった(笑)。90年代半ばには『ダメジン』の脚本を書いていたし、8ミリでプロトタイプみたいなものも撮ってました。でも、その頃はオレの脚本なんて、どこに持ち込んでも箸にも棒にもかからなかった。「こんなのやる意味あんの?」ってさんざん言われたし(笑)。

なぜ映画に興味をもったんですか?
映画は丁寧に作るメディアですよね。そのなかで、ギャグを作ってみたかったんです。
作品を作る時に、「観客を笑わせたい」「笑ってもらいたい」という思いはどのくらいあるのですか?
いや、そこがオレのダメなところで、第一の基準が自分がおもしろいと思うかどうかなんです。「これがウケるだろうな」ということでは作りにくい。たとえば現場で、岸部一徳さんが映っているモニターを見て、「これはおもしろいなぁ〜」と思うんですよ。そのおもしろさには確信がある。そこからカメラの角度、画面のサイズなんかを「一番おもしろいのはたぶんこれだろう」と、勘で選択する。そう考えると、ずいぶん危うい橋を渡ってるんだよね。岸部さんにカメラがそれ以上寄っても引いてもつまらなくなる。「ここ!」とジャッジする基準は、すべてオレ個人の勘や生理であって、理論的根拠は何もないから。
それを作品にしたときに、笑ってくれる人がいたらいいな、というくらいですか?
そうですね。『転々』を観てくれた人の反応だけをとっても、それぞれ引っかかるところがぜんぜん違うんです。おもしろいと思うポイントを共有できたときはやっぱりすごく嬉しいですよ。「石原良純さんが出てくるとやっぱりみんな笑うんだ」とか(笑)。

(c)2007「転々」フィルムパートナーズ
共有の確率を上げる作業はしないんですか?
それはオレのやり方だとムリなんですよね。アメリカみたいな多民族国家だったら、どんな人にもわかりやすい平たい作品を作ることが表現する側の使命だったりする。だけど、日本人はベーシックに共通する感覚をもっているから、それを前提に、上乗せする部分でギャグを作っていく。ある意味、日本やイギリス、韓国は笑いに関して先進国だと思います。だから選択肢も増えるし、どんどんマニアックにもなる。そんな笑いが、誰のどこにフィットするかなんてわからないし、考えてもきりがない。あんまり深く考えると、ギャグってやりづらくなりますし。
だからこそ、三木監督の笑いはオリジナルなんだと思います。そして『時効警察』でその笑いが広くお茶の間に浸透しました。してやったり感はありますか?
別にないですよ(笑)。『時効警察』はオダギリ(ジョー)さんや麻生(久美子)君といったちゃんとした役者のおかげで成立していますしね。最初は、「なんであんな立派な役者なのに、三木でやるんだ」って言われたんですよ(笑)。テレビ界やドラマ界の常識では、「もうちょっとトレンディな作り方をして、もっと広く視聴者を獲得する内容で勝負する方法もあったはずだ。それをわざわざマニアックな作り方をしてもったいない」という感覚みたいです。

(c)2007「転々」フィルムパートナーズ
そして、オダギリさんは『転々』にも出演してくれたわけですね。
『時効警察』のロケ中に、「こんな映画があるんだけど」と話しました。ゴミ捨て場でしたね(笑)。『転々』でのオダギリさんは、三浦(友和)さんの芝居を受ける立場なんですが、彼の微妙な“中間表情”が映画にとってすごくプラスになっています。「笑う」「泣く」といった表情の間にある、微妙な表情。この“中間表情”のバリエーションが増えてくると、喜劇を作りやすくなるんですよ。映画はやっぱり画面が大きいから、その微妙な表現が笑いとして効いてくるので。オダギリさんは中間表情のセンスをすごく持っているし、映画的なテクニックを知った上でそれを演じてくれている気がします。
笑いのセンスと映画的なテクニックが、三木監督が俳優に求めるものですか?
そうですね。実は、喜劇的な演技のできる俳優というのは非常に少ないんです。たとえば、いわゆる“間”というやつも、ジャストのタイミングというのはものすごく狭い幅しかない。だから、ギャグに対するセンスが重要になってくるんです。むしろ、お笑いのセンスをもった人—たとえば芸人さんとかが、映画的なテクニックを身につけたら、日本の喜劇映画も幅が広がると思います。そういう才能が習熟するまで、トライ&エラーをさせる土壌が日本映画界にできたらいいんじゃないかと思います。

(c)2007「転々」フィルムパートナーズ
そもそも、笑いに対する執着はいつ芽生えたんですか?
小学生の頃はドリフターズが全盛期でしたし、『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』や『モンティ・パイソン』みたいに新しいスタイルのテレビ番組も放送されていました。わりとコント的なものに直撃された世代なんですよね。漫才ブームのときにはもう大きくなってましたから。
それが仕事になったのは?
大学時代、放送作家の事務所に友達が面接に行くときに、付き添いで行ってから、バイトするようになりました。ダメなアイドル歌手みたいでしょ(笑)。それ以前は、「コントっていかりや(長介)さんとかが書いているんだろう」と認識したくらいだから、別に放送作家になりたかったわけでもなくて。映画青年でもなかったですし。

(c)2007「転々」フィルムパートナーズ
でも、そのまま放送作家の道が開けたわけですよね。
開けたというか、いちばん長いバイトですよね(笑)。煎じ詰めると、自分の嗜好の根底にコントやギャグがあったから続いてるんだろうなと思います。好きでとりあえずやってみると、いろいろなことがわかってくるし。ただ、知ってることが多くなると、逆に鮮度が薄れてしまう。テレビや舞台も楽しいけれど、長くやってきたぶん、何が起きるが予測できてしまう。だから、映画にものすごく鮮度を感じているというのはあります。38歳のとき、イメージフォーラムの映画講座に通ったんですよ。昼は学生と一緒に16ミリのカメラを回したりして、夜は舞台の仕事に行って。そのときに、いかに自分が経験値のある慣れた場所で仕事をしているかがわかったんです。映画だと、テクニックがないぶん、ストレートに伝わったりして新鮮なんですよね。でも、5本も撮ってくるとそれも通用しなくなってくるけど(笑)。
『転々』がとても映画的な作品だっただけに、次の展開が気になります。
映画界において、自分は外様で邪道のイメージなんです。映画的なテクニックでいえば邪道であっても、「マヌケなのはこっち」「可笑しいのはこれ」というジャッジをしてしまう。そういう風に、自分の嗜好に忠実に映画を作るのは、ある意味、ラクともいえると思うんです。最大公約数に向けた王道の笑いを、それを演じられる役者と作っていく方が実は難しい。もしも僕がもっと早く映画を撮り始めていたら、そっちにトライして、また自分の嗜好に戻ってくる作業も必要だったかもしれない。でも、撮り始めたのが遅いし、もういい歳こいてるんで(笑)、「このまま走りきるか」という気はしてます。行き当たりばったりでやってるので、どうなるかはわからないですけどね。




















