6月12日午後1時、下北沢の部屋の明け渡しに立ち会ってもらった父を、僕は代田橋の新居に招いた。
いちこが作ったそうめん、おからの煮物、きゅうりとわかめの酢の物、ゴーヤの炒め物が並んだテーブルを父と僕といちこの3人で囲み、ちょっと遅い昼食をとった。
Text:ECD
Photo:植本一子
「おいしいよ。今じゃそうめんとか食べることないからな。おつゆもおいしいよ」
父はもう10年近く、僕と17歳離れた一番下の弟、育との男2人だけの暮らしが続いている。先日、引越し費用の一部を借りに久しぶりに訪れた実家で、僕はそんな父の暮らしぶりを垣間見た。ご飯は炊飯器で自分で炊いていたけれど、おかずは近所のスーパーで買ってきた出来合いの惣菜だった。
「おからもおいしいよ」
箸をつけるものひとつひとつに父は、「おいしい、おいしい」と言いながら食べた。
そんな父を見るのは初めてのことだった。僕がまだ実家にいて、母も生きていて、家族で囲む食卓で父は、母の料理に文句をつけることこそなかったが、「おいしい」とほめるのも聞いた記憶はなかった。

無事、戌の日も終わりました。
6月4日、いちこの誕生日に僕たちは入籍した。それからこの日で9日が経っていたが、実はあまり実感がわいていなかった。しかし、この日、いちこの作った料理をうれしそうに食べる父を見ながら、僕は自分たちが結婚して新しい家庭を持ったことをしみじみと感じた。
この数日、いちこと父は毎日のように顔を合わせていた。10年間の猫たちとの暮らしで変わり果てた下北沢の部屋を少しでもまともな状態にするには、工務店を営む父の力を借りるしかなかった。
父は、僕も小さい頃から顔なじみである古くからの仕事仲間、ペンキ屋の矢内さんと2人で、たった3日間で元通りのピカピカの部屋にしてしまった。僕は仕事に出かける前に寄って顔を出すくらいだったので、代わりにいちこが父たちの仕事を手伝った。いちこは74歳になる父の働きっぷりを「親父、すごいよ、すごいよ」と賞賛した。
部屋の明け渡しの時、破損や汚れを細かくチェックする管理会社の担当者に対して、父は専門家としての意見を遠慮なくぶつけた。おかげで、修理負担費は敷金の中で納まるのではないかということになった。
そんな父の張り切りには理由があった。作業中の部屋に顔を出した僕に、ペンキ屋の矢内さんが父に聞こえないように小声で打ち明けたのだ。
「親父さん、『これだけしてやるんだから、葬式の面倒見てもらわなきゃな』って、ひとりでブツブツ言ってたぞ」
僕はドキリとした。長男である僕は、父が死ねば葬式で喪主を務めることになる。そのことは数年前から僕にとっても、考えたくはないけれど、覚悟しなければならない難関として、自分の前に立ちはだかっていたのだ。自分にそんなことを務めるだけの自信がないから、僕はひそかに父が自分のことなど当てにしていないことを望んでいた。
ところが父が自分を当てにしているということを聞かされて、不思議なことにそれまで「嫌だ嫌だ」としか思えず、できれば関わらずに済ませたいと思っていた父の葬式を、初めて「やってやろう」という気持ちになった。
父があわれになったわけでも、長男としての責任に急に目覚めたわけでもない。
ただ、重苦しさは吹き飛んで、気分はスッキリしているのだ。
Posted by:ECD
60年生まれ。ラッパー。本名石田義則。ファイナルジャンキー主催。 96年に、日比谷野外音楽堂で開催された伝説的なHIPHOPイベント「さんぴんCAMP」を主催したジャパニーズヒップホップのオリジネーター。アルコール中毒に悩まされた時期もあったが、今では立ち直り警備員をしながら音楽活動を続けている。『ECDIARY』(レディメイド・インターナショナル)『失点イン・ザ・パーク』(太田出版)などの文筆活動を始め、音楽活動以外でもその才能を発揮している。
植本一子
84年広島県生まれ。写真家。02年、高校生の生活フォトコンテスト受賞。03年、日本写真芸術専門学校在学中に、キャノン写真新世紀で、審査員の荒木経惟氏らから賞賛を受け、優秀賞を受賞する。現在はフリーランスで活動中。














